2013年11月30日土曜日

『日本の道教遺跡を歩く―陰陽道・修験道のルーツもここにあった』福永 光司、千田 稔、高橋 徹 著

日本にも道教ゆかりの遺跡があることを紹介する本。

かつては日本には道教は(少なくとも体系的には)伝わってこなかったと考えられてきたのであるが、近年日本文化にも道教が様々な影響を及ぼしてきたことが徐々に認知されてきた。本書は、著者たちが「これも道教関係ではないか?」と考える史跡を次々に列挙していくというものである。

彼らがそれらを道教関係と考える根拠には、ナルホドと思わされるものもあるし、うーん、それは牽強付会ではないかなあと思うものもある。随所に「〜かもしれない」「〜の可能性もある」と畳み掛け、遂には「〜であることは容易に想像される」などとまとめる。私は、こういう推測と断定が混淆した論考というのは苦手である。

とはいうものの、これまで看過されてきた道教の影響力に注目した功績は大きいものがある。面白いと思ったのは、浦島太郎と八幡神社、妙見菩薩信仰について道教の影響を指摘した点である。浦島太郎の伝説は中国にそのプロトタイプのようなものがあり、妙見菩薩信仰については道教の星辰信仰の影響は明らかである。八幡神社については、やや関係は薄い部分も感じるがどうも道教的な何かがそこに混入していることは間違いないようだ。八幡神社についてはそもそも謎が多いので、これは大変面白い切り口であると思う。

本書は、朝日新聞に連載されたものを大幅に加筆して執筆されたものであり、元が新聞連載であるだけに少し散漫な点も見られる。特に副題になっている「陰陽道・修験道のルーツもここにあった」というのは看板に偽りありで、陰陽道については触れられるが修験道についてはほとんど取り上げていない。私は修験道と道教の関係に大変強い関心をもっているので、ここがほとんど閑却されていることには少し落胆させられた。

道教と古代日本文化の関係を考える上では導入として面白い本。今後のより体系的な論考が期待される。

2013年11月24日日曜日

『生活の世界歴史(6)中世の森の中で』木村 尚三郎、堀越 孝一、渡辺 昌美 著、堀米 庸三 編

中世ヨーロッパ、特に12世紀から14世紀のフランスを中心にして、当時の社会の有様を描いた本。

当時の世界観、食と住、都市の構造、城の生活、キリスト教による支配とそれへの反発、そして叙情詩の登場前夜がテーマである。

本書の最大の問題は、後半の渡辺昌美氏の担当部分が他に比して読みにくいことだ。論旨が不明確で表現が文飾に流れ、悪い意味で「文学的」。興味を惹く記述がないではないが、読んでいて後味の悪い文章である。

それ以外は、ややとりとめのない部分が見受けられるとはいえ、よく纏まっている。特に前半の森との関わりについては、面白く読ませてもらった。その他、中世の人は僧職以外は裸で寝ていた(その理由は書いていない)とか、風呂が盛んで公衆浴場(混浴)が賑わっていたとか、意外な記述がたくさんあり、16世紀以後のヨーロッパの風情とは随分異なる部分があることに驚いた。

そして、中世というと停滞した時代、どんよりと澱んだ社会と思いがちなのであるが、本書では中世を「身構えた社会」と捉える。これは、いつ何時でも忍傷沙汰が起こるか知れぬ社会、主従関係が簡単に破棄される社会、頻繁に暴動が起きる社会であった。要は、社会の秩序が十分に確立しておらず、暴力同士の危うい均衡が社会を支えていたのであった。

その他、私個人として気になった所は、中世の農業の著しい低生産性である。播いた種を僅かに超えるほどの収穫しか得られなかったというのは、農業の常識からすると俄には信じ難い。そういう状態で生活を営めたという秘密はどこにあるのだろうか。ドングリなどの採集による食糧確保が大きかったのかとも思うが、一方で「中世の人はパンをよく食べた」という記載もあり、どうやって小麦やライ麦を確保していたのか謎である。