2017年6月16日金曜日

『庭園の世界史―地上の楽園の三千年』ジャック・ブノア=メシャン著、河野鶴代・横山 正 訳

世界の諸民族がどのように庭園を造ってきたかエッセイ風に語る本。

著者ブノア=メシャンは庭師ではないし、庭園の専門家でもない。中近東を中心とする在野の歴史家である。本書は、歴史家の視点から中国、日本、ペルシア、アラブ、イタリア、フランス、スペインの代表的な庭を紹介してその背景となる考え方を語るものである。

庭の様相については、何の樹木が植えられていたか、といった具体的な部分についてはさほど触れられず、ほとんどがその構成(設計)の説明に終始している。そして本書の中心は、庭の構成にあたって一体どのような価値観や美意識が働いていたのかという、いわば庭の哲学・美学を語ることであり、それは本書の用語では「庭の神話学」と表現されている。

その内容は非常に理念的なものであって、頭でっかちすぎるきらいがある。正直、ピンと来ない説明が多かった。その上、中国と日本の庭園に関しては、著者は全く実見せずに文献のみによって様々に論評していて(歴史家ならではとも言える)、基本的にかなり褒めているので東洋人として悪い気はしないが、ちょっと正鵠を射ていないようなところも散見された。

私が本書を手に取ったのは、本書にはメディチ家のロレンツォが作ろうとしていて果たせなかった庭のことが書いてあるからで、特にその庭にどのような樹木を植えようとしていたのかが知りたかったのだが、前述のように本書は樹種についてはほとんど触れられていないからそれは分からなかった。

この庭は、ロレンツォがルネサンス精神の体現として計画したもので、プラトニズムの理想を表す大規模な構成と知的な仕掛けによって古今不滅の庭となるはずのものであったが、ロレンツォの死によって中断され、その後雲散霧消してしまったものである。この計画のデッサンを著者は1927年にフィレンツェの市庁舎で見つけて記録し、本書の記述はこれに基づいている。しかしこのデッサンは第2次世界大戦で失われてしまったという。よって、このロレンツォの未完の庭は本書だけが伝えるもので、その検証もできないという幻の庭なのである。

本書に扱われるもう一つの幻の庭は、ルイ14世がヴェルサイユを越える庭としてつくりだした「マルリの庭」である。ヴェルサイユの庭園はフランスの庭園文化の一つの到達点とされるものであるが、ルイ14世はこの庭に次第に飽きるようになった。そして自分だけの隠棲の場所として計画したのがマルリ宮である。最初は密やかな場所であったが次第に計画は拡大され、巨費が投ぜられてヴェルサイユ以上に独創的な庭園として発展し、やがてはここで重要な政務も執るようになった。ヴェルサイユは貴族にとって特別な場所ではなかったが、マルリに招かれるということは「王の側近…(中略)…のごく少数の選ばれたグループに属することを意味した」のだという。

このマルリの庭へ王が情熱を傾けるところは、筆が冴え渡っているところで、ここはさすが歴史家という感じがした。

ところがこのマルリ宮は、今ではその痕跡も留めない。フランス革命によってこの庭園は競売に付され、庭に飾られていた傑作の数々は順次売り払われ、無関心の裡に破壊されていったのであった。こうして究極のフランス式庭園は、あっけなく消えてしまったのである。

ところで本書の大問題は、講談社学術文庫に入れる際に内容とかけ離れた大げさな題名をつけたことである。本書には庭園の世界史は語られない。原題は、『人間とその庭、あるいは地上の楽園の変容』である。こちらの方が、内容と合致していてずっとよい。

題名と内容が乖離しており、庭の哲学・美学の説明はかなり理念的であるが、失われた庭についての話は面白い本。

2017年6月11日日曜日

『シルクロードの天馬』森 豊 著

シルクロードにおける天馬の図像史。

著者の森 豊氏は研究者ではなくジャーナリスト(新聞記者)。しかしシルクロードに魅せられてシルクロードに関する著作が多く、「シルクロード史考察 正倉院からの発見」という叢書が(少なくとも)20冊刊行されている。本書はその13番目で、天馬——翼を持つ馬、天を翔ける馬——の図像が、シルクロードにおいてどのように伝わっていったかということを述べるものである。

基本的には、各種の図録や論文から事例を引いてきて天馬の事例を紹介していくという内容。日本から始まり、中国、中央アジア、中東、エジプト、ギリシアとシルクロードを遡っていく形で天馬のあれこれが語られる。ややエッセイ風な記述で、そこに考証や仮説といったものはあまり述べられないし、掲載された図版もちょっと少なめで天馬の図像史を明らかにするというものでもないが、著者はこれを専門に研究しているわけではないのでこれくらいの軽さは適切である。

本書に述べられる天馬の図像伝達史を簡潔に述べればこうである。本来翼を持たない生き物に翼をつけるという発想が産まれたのは中東からエジプトにかけてのことで、その時期は明確ではないが紀元前2500年以前に遡る。アッシリアでは翼のある人面獣が守護神的に信仰されたり、翼ある神が信仰された。しかし古代の幻想の有翼獣は、古くは獅子(グリフォンなど)であり、牡牛であり、羊であって、馬はいなかった。

馬に翼を生やすという着想を得たのは馬を重視する遊牧民の手に掛かってのことで、ギリシア、ペルシア、インダス文明あたりからのことである(が、はっきりとは分からない)。翼を持つ天馬は、ギリシア神話におけるペガサスが有名であるが、ユーラシア全体にその図像が分布しており、特にササーン朝ペルシアの影響力が大きいようである。中国では、天馬が竜への信仰と集合して竜馬(りゅうば)へと変遷していった。日本にも天馬は既に5〜6世紀に伝えられており、正倉院宝物にも天馬があしらわれた文物が収蔵されているのである。

本書を読みながら、80年代の「シルクロードブーム」が思い起こされた。ブームは「NHK特集 シルクロード」に追う面が大きかったとしても、80年代には本当に多くの人がシルクロードへの関心を持っていたのである。井上靖、平山郁夫、司馬遼太郎、松本清張…。小説や芸術の分野で多くのシルクロード関連作品が生まれたことだけでもその傍証とするに足る。当時はシルクロードの諸国にようやく行けるようになった時代で、どんどん研究が進んだ時期だという背景はあるが、今から考えると、どうしてこんなにシルクロードが人々の心を捉えていたのか不思議なくらいである。

しかし本書を読みながら、シルクロードへの関心は、日本の国際協調路線が確立したことを以て(特に日中国交正常化の影響が大きかっただろう)、日本の文化を「シルクロードの終着点」として世界的に位置づけ直すという心理的・象徴的な国民的ムーブメントだったように思った。当時はまさに「ジャパン・アズ・ナンバーワン」にさしかかろうとしていた時だったけれども、日本文化の独自性とか、優越性といったことを言うのではなくて、日本文化もユーラシア大陸の中に連綿と繋がった文化の珠の一つであるという認識を、我々は創り出そうとしていたのかもしれない。

そういう意味では、今の社会情勢に照らしてみると「シルクロード」は人気の出ない切り口だろう。「シルクロード」は、日本の国際協調路線を文化・心理面で支える重要な「思想」だったのではないか。本書を読みながら、そんな気がした。

2017年6月4日日曜日

『日本の名随筆 45 狂』中村 真一郎 編

説明不要の随筆の集成「日本の名随筆」より、「狂」にまつわる27編。

狂気や精神病、偏執症といったものに関する随筆が多い。というより、そうでないものは、西垣 脩「風狂の先達——増賀上人について」と石川 淳「狂歌百鬼夜狂」の2編のみである。

なかでも、印象深かったのは島尾敏雄「妻への祈り」。

これは、精神に異常をきたした妻を献身的に看病しつつも振り回されて、生活はめちゃくちゃになり、最後には転地療養のために妻の地元である奄美へと家族で移住していくまでの話(実話)である。

この話だけを読むと、狂気に冒された妻をその身を犠牲にして看病する夫、という美談に思えるのであるが、後代の我々は、そもそもこの妻の精神がおかしくなった理由は、夫(島尾敏雄)が愛人との情事にふけって家庭を顧みなかったことにあると知っている。となると、自分のせいで妻が病気になったことを棚に上げて、献身的に看病する自分のみを都合よく作品化する夫の方こそ狂っていて、病気になった妻の方がよほど正常だったのではないか、と思えてくる。

このように、「狂」ということの空恐ろしい魅力は、「狂っている方が正常で、実は正常だと思っている私たちこそ狂っているのではないか」という逆転がありうることだ。というのは、狂った世界にあれば狂った人こそ正常で、狂っていない人の方が異常だからである。狂っている人には自分が狂っていることはわからないから、自分は正常だと思い込めるし、私たちがそうであるかもしれないのだ。「狂」はあくまで、相対的概念だ。

「妻への祈り」の場合も、確かに病理学的に狂っていたのは妻の方であるが、その背景を知ってみると作家自身の方も深い狂気へと陥っている。島尾は、文学で身を成すため、というより売れっ子になるために、自らの浮気によって狂った妻を赤裸々に描いて売文していたのだ(『死の棘』として出版され高評価を受ける)。島尾は、狂った妻を文学的に利用したのである。こんなことは、とても普通の精神では行えない。当時は「私小説」が流行っていた時期で、破滅的な私生活を「赤裸々」に書くことが売れっ子になる近道だった事情があるとしても、相当に厚顔無恥であったか、あるいは島尾自身も狂っていたかだろう。

さらに、未読であるが『狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ』(梯 久美子)によると、妻の方にも浮気による精神疾患だけとはいえない狂気の世界があって、自分の病状が文学的価値を持つことを理解するや、夫の作品の題材となることに自らの存在価値を見いだして、あろうことか原稿チェックまでしていたという。

しかしそういう状態を、献身的な夫と(なぜだか)精神病になってしまう困った妻、としてあくまでも自分に都合よく描いている「妻への祈り」は、短いながら寒々とした狂気を感じる作品である。

2017年6月1日木曜日

『狐になった奥様』ガーネット作、安藤 貞雄 訳

不思議にも狐になってしまった妻をあくまで愛し抜こうと苦悩する男の物語。

主人公デブリック氏の妻は、ある日散歩中に突然狐になってしまう。その時は精神はまだ元の人間のままで、突然の変身に悲嘆しつつも狐の姿で夫と共に暮らしていくが、だんだん野生化していき、次第に人間であるよりも狐らしくなって、家を飛び出して狐として生きるようになる。

一方デブリック氏は、そんな妻を人間であった頃と変わらず愛そうとする。最初は、狐の中に潜む妻の人間性を愛おしんでいるが、その人間性はどんどん失われていってしまう。それでもデブリック氏は狐を愛そうとすることを辞めない。苦悩と悲嘆の果てに、狐を狐として愛するようになり、雄狐へ嫉妬するようにすらなる。しかしその嫉妬すらも乗り越え、最後には狐や子狐たちへの無償の愛の境地へと至るのであった。

本書は、カフカの『変身』を髣髴とさせるものであるが、『変身』が様々な寓喩的解釈を惹起するのと違い、いかなる寓喩をも拒絶するかのような内容である。例えば、妻が狐になったということは、一体何を表しているのか? といったことを考えてみても、浮気、精神病、認知症、本来の自己への回帰、といったものの寓喩ではないか、といったありがちな解釈は全く当たらない。妻は夫との生活に満足し、自尊心を持って生きており精神的にまいるようなこともない。狐になったことには苦悩するがやがて狐として自立した生き方をするようになるし、無残に死ぬだけのグレゴール・ザムザとは違う。

こういった調子で、妻が狐になったこと一つを取ってみても、一体それが何を寓意しているのか読者にはサッパリ分からない。むしろ「解釈」といった浅知恵を捨てて、この物語そのものをただ理解して欲しい、という意志を感じさせる作品である。この物語のテーマは何か、ということすら型に当てはめて考えることはできない。

だがこの物語は、何かの寓意であろうとなかろうと、どんなテーマの下に書かれていようと、非常に面白く、一気に読ませるものである。

本書によって思い起こされるもう一つの作品は『美女と野獣』だ。ディズニー版の『美女と野獣』は、「見た目に騙されてはいけない」という教訓的テーマがありながら、結局そのテーマは作中であまり省みられず、最終的には美男美女の幸せな結婚へと話が回収されるが、本書の場合は美女が野獣化して、それを受け入れて野獣を愛す男の話となっており、より美醜を超えた愛の形が徹底している。

しかしやはり、本書を「真実の愛がテーマの本」などとまとめることには違和感がある。デブリック氏が到達したところが、真実の愛であったのか、それとも狂気の世界だったのか読者には分からない仕掛けとなっており、むしろ自分も野生化して狐と同化していったくだりから判断するに、狂気的な部分が大きい。そもそも、妻が完全に狐になった時点で、デブリック氏は新たな妻を迎える選択もできだだろうに、なぜそこまで狐に執着するのかという点からしてもほとんど狂気的な愛情を感じるところである。

だが、「狂気をも突き抜けた愛」がテーマかというとそれも違う。作中では、デブリック氏はあくまで冷静な紳士であり、常識人として描かれる。妻への愛だけは人並み外れているが、決して狂人ではない。

愛、美醜、狂気…こうして並べてみても本書を説明するキーワードにはならない。というより、本書のテーマは何なのか、と問うこと自体が、何か野暮な気さえしてしまう。

こういった調子で、本書はあらゆる解釈を峻拒して、ただ作品それ自体として屹立するような傑作である。