2017年10月10日火曜日

『<出雲>という思想』原 武史 著

近代日本における出雲系と伊勢系の派閥の対立を描く本。

明治政府は、王政復古を旗印にした。遙かな古代に行われていた神権政治を現世(うつしよ)に再現することを一度は企図した。その神権政治の思想は、「復古神道」と呼ばれた。これは、それまで千年来培われてきた自然発生的な神道ではなくて、国家の統治の道具として新たに構想されたものであり、古事記や日本書紀、風土記などに現れる神話を再解釈して作られた神道であった。

その神道を形作った人々は大勢いるが、大きく分ければその流れは5つに整理できる。すなわち、(1)平田篤胤の思想を受け継ぐ人々(平田派)、(2)平田派から派生し、明治政府に大きな影響力を持った旧津和野藩の人々(津和野派)、(3)一時期ではあるが神道行政を主導した旧薩摩藩の人々(薩摩派)、(4)アマテラスの一神教的な運動を繰り広げた伊勢神宮に近い人々(伊勢派)、そして(5)オオクニヌシを信奉する出雲大社に近い人々(出雲派)であった。

この5つの派閥をさらに大きく分ければ、アマテラスや天皇の神聖性を強調する方(2)(4)と、オオクニヌシと彼が主宰する目に見えない世界(幽冥界)を強調する方(1)(5)の2つに分けうる。

例えば平田篤胤(1)は、現世での支配者はアマテラスであるにしても、死後の世界あるいは目に見えない世界での支配者はオオクニヌシであり、むしろオオクニヌシの方が永続的な世界の支配者であると考えた。篤胤は、天皇すら死後にはオオクニヌシの審判を受けるとした。この考えを受け継いだ平田派は、明治初年の段階でかなり多数派を占めていたのであるが、その影響力は限定的であり、割合に早く新政府内での存在感をなくした。

一方で、篤胤の門人でありながら篤胤神学を批判し独自の思想を発展させた大国隆正(2)は、アマテラスこそ世界の支配者だと見なし、アマテラス一神教とも言うべき神道を構想した。この構想は津和野藩の藩主であった亀井茲監(かめい・これみ)や福羽美静(ふくば・よししず)に受け継がれ、神道を国教化するという明治4年くらいまでの神祇行政の基本路線となった。

薩摩派(3)は、こういった神学論争にはあまり参加しなかったので、アマテラスにもオオクニヌシにもさほど思い入れはなかったようである。彼らは造化三神(アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒ)を重視し、津和野派の構想には反対であった。薩摩派は神祇行政の実権を握った明治5年頃に津和野派の人々を政府から追い出し、津和野派の構想を挫折させた。

ところが薩摩派の命脈も長くは続かなかった。薩摩派には思想的な指導者がおらず、自らの依って立つ神学的理論を打ち立てることができなかった。しかも信教自由などを志向する開明派の官僚からの抵抗にもあって薩摩派が主導した国民強化運動はうまくいかなかった。

そこで登場するのが出雲大社の大宮司であった千家尊福(せんげ・たかとみ)(5)である。尊福は代々続く出雲国造(いずもこくそう)の第80代目であった。出雲国造は、出雲では藩主を上回る権威を持ち、生き神とさえ見なされていた。尊福はその影響力を背景に、出雲に深い関わりを持つオオクニヌシの復権を試みた。一度は明治政府から排除された平田派の人たちはこの動きに同調して出雲派を形作った。

そんな中、津和野派と薩摩派がそれぞれ影響力を競う形で共同して伊勢神宮の強化が図られ、次第に伊勢神宮が国家にとって特別な地位の神社として擡頭してきた。特に薩摩派出身の田中頼庸(よりつね)が大宮司としてその運動を主導した。こうしてアマテラスこそが国家の主宰神であるとする思想が強化された。

こうして明治政府内では、祭神論争が巻き起こった。顕事(現世での出来事)を司るアマテラスを祀るべきか、それとも幽事(目に見えない世界での出来事)を司るオオクニヌシを祀るべきか。それは神学論争では決着がつかず、結局天皇の勅裁を仰ぐことになった。その勅裁では、どちらを祀るべきという優劣はつけていなかったが、オオクニヌシについては言及されなかったため結果的にアマテラス派の優位を確定させた。

本書は、こうした明治政府内の派閥間の神学的ダイナミズムを克明に描くもので、派閥の動きなども類書に比べわかりやすく、テーマは出雲の思想であるが、出雲だけでなく明治初期の神道行政の動き全体を追うものとしても非常に参考になる。

なお、全体の4分の1ほどを占める第2部では、「埼玉の謎」と題して埼玉県成立の歴史と県庁所在地がなぜ大宮ではなく浦和なのかということを、なぜ埼玉には氷川神社が多いのかということから考察している。これには実はオオクニヌシが関係しており、千家尊福は埼玉県の知事に就任して氷川神社の復興にも取り組んでいる。第2部は第1部での話を下敷きにしたケーススタディとしても読めるが関連は深くない。

オオクニヌシを信奉する出雲派の明治初期での動向から、神祇行政全体まで概観させる良書。

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