2017年12月25日月曜日

『本屋がなくなったら、困るじゃないか:11時間ぐびぐび会議』ブックオカ 編

福岡で行われている本のイベント「ブックオカ」の一環で行われた、本の出版・流通・販売に関する座談会の模様をまとめたもの。

本書は、11時間の座談会の書き起こしに、インタビュー等の記事を付け加えたもので、本の出版から小売りに至るまでの様々な人たちが、自分なりの考え方でなんとか「本」の世界で生き残っていく方策を探るものである。

本の業界は、近年非常に厳しくなってきている。街の本屋だけでなく、取次(とりつぎ:後述)すら倒産する世の中だ。その大きな原因は雑誌の不振にある。これまでの書店のビジネスモデルでも本の販売ではほとんど儲けはなく、雑誌の販売でそれを補うという形になっていたが、雑誌の売上が急激に落ち込んできたことで、これまでのやり方が通用しなくなってきたのだ。

なぜ本の販売では儲けが出ないのか。その背景には、取次による「委託配本システム」がある。取次とは「本の問屋」であり、「委託配本システム」とは、この問屋が書店に対して本を自動的に納品するという日本独自の配本方法である。「自動的に」と書いたのは、この配本が書店からの注文に基づかないものであるためで、逆に言うと本屋は売りたい本があってもその本を取次から入手するのは難しい(手間がかかる)仕組みになっている。

だから、書店に欲しい本を注文するというのを、地元書店を応援するつもりでやっている人は多いだろうが、実はこの注文(客注という)は書店にとって有り難くないものだ。取次に言っても、その本は入ってこないのだから。だからお客に対して「3週間かかります」などといって客注を受けないようにするところも多い。取次に注文しても納品されないから、近所の大きな本屋から直接調達したりすることさえある。

また、村上春樹の『1Q84』などが出版された時、大型書店には山積みになったのに零細書店にはほとんど希望数納品されなかったということもあった。これは「委託配本システム」の問題というよりは、出版社から書店への納品数指定の問題(大手の出版社は、書店毎の納本数を過去の実績に基づき指定して取次に納本する)であるが、今『1Q84』があれば売れるのに! という街の本屋からすれば、自由に注文できない取次システムは商売の足かせになっているのである。

これは要するに、仕入れたいものを仕入れられない、むしろ売れない本が勝手に送られてくる、という馬鹿げた仕組みであるから、「委託配本システム」の評判は悪く、取次の悪口は多いのであるが、本書の座談会には取次からもメンバーが入っていて、普段は見えづらい取次としての考え方も開陳されるのが本書の面白いところである。

そもそも、何千とある出版社の、何十万という本のタイトルから自らの書店で売りたい本を選び、発注し、伝票を起こし、請求をし、入金を確認するということはほとんど不可能なことだから、取次自体は必要な存在である。その上、特に弱小出版社の本などは取次が「委託配本システム」によって頒布しなければ、陽の目を見ることすら難しい。出版社にとっては、例えば3000部刷ればとりあえず全国の書店に3000部並ぶ、ということがあるだけでもこのシステムは有り難い。

また、戦前の苛烈な言論弾圧の反省から、取次ではどんな本であれ(=いくら売れなさそうでも)一度は流通させるという、インフラ的な矜恃を持っている。取次が配本しなければ、その本は事実上存在しないのと同じことになる。だから、売れる売れないに関わらず、半ば強制的に書店に卸す仕組みが必要だと考えている。書店が欲しい本を欲しいだけ入荷できないというのは、ある意味ではこの仕組みの副作用なのだ。

その上、取次はこれまで、出版社・書店の双方に金融機関的な機能を提供してきた。これについてはちょっと説明が必要だろう。日本には本の再販制度がある。これは、本は定価で売らなくてはならない代わり、本は返品可能なものとして書店に納品されるということである。要するに、本は書店の在庫というよりは、書店の「資産」でもある。だから月末に10万円資金が不足したとすると、10万円分の本を取次に返品すれば事なきを得るということになる。出版社にとっても、本をとりあえず3000部刷って取次に納品すれば、その分の収入はすぐに得られるということになる。その本は実際には売れる見込みがなかったとしてもだ。取次があるおかげで、書店も出版社もこういう方法で経理のやりくりをすることができる。

そういう実態を考えると、取次への文句というのは、「これまでなんでもやってくれたお母さんへの不平不満」みたいなものであるという。今、業界全体が縮小していく中で相対的に少数である取次への不平不満が目立っているだけで、実際には出版から流通に関わる全てのシステムが見直しの時期を迎えているというのが事実だろう。

一方、日本と同様に本の再販制度がありながら、日本とは違った本の生態系を作ってきたのがドイツであり、座談会ではドイツのやり方が詳細に報告されている。まず、ドイツでは本の返品率は5%程度だという。日本の場合はものによっては40%にも上ることがある。その差は何か。ドイツには委託配本システムがなく、配本はあくまで書店からの注文に基づく。しかも、いつでも希望の本を注文でき、それがすぐ届くという安心感があるから、必要最低限の本しか注文しない。だから返品率が低いのである。

また、ドイツの書店は日本のそれのように本が大量に陳列されていないという。本は平売りなどの複数冊の販売が普通で、要するに書店がセレクトショップ化している。売りたい少数の本を売りたいだけ入荷し、書店の固定客に対して売っているから返品が少ないのである。

これは逆から見ると、書店からの注文がなければ本は出荷されないということになる。だからドイツでは出版点数が少ないのではないか? と思うが、ここがすごく不思議なところで、ドイツでも日本並みに(=つまり大量の)本が出版されているのだ。ただし、日本とドイツで違うところは、日本の場合は独立系の小さな出版社がたくさんあるということだ。ドイツだけでなく諸先進国では、小さい出版社もあるにはあるがそれらは少数の大出版社の傘下のグループ企業となっており、配本などのシステムは共同化しているということである。やはり、取次による委託配本システムがなければ弱小出版社が成り立って行かないというのは事実のようだ。

そして最も大きなドイツと日本の違いは、ドイツの本の定価は日本の倍くらいするということである。定価が倍だから半分しか売れなくても売上は同じになる。このことで本の粗利を高め、本を売ることで儲けが出るようにしている。大量に売る必要がないからシステムに無理がないのである。

とはいえ、Amazonや電子書籍といった「黒船」への対応も徹底的にやっている。ドイツでは出版・流通・書店の業界がこうした「黒船」の脅威をともに認識し、非常なる危機感をもってこれに対抗しうるシステム(流通の効率化や電子書籍対応)を業界全体で構築してきたた。ここが日本と全く違うところで、日本の場合は、業界全体としてその危機感を共有できず、今までのシステムを引き続き使い続ける前提で座して死を待っているような様子である。

このままでは日本の本屋はやっていけないのである。

そこで本書では、どうにかこれからも出版・流通・書店を続けて行きたいという思いで新進気鋭の取り組みをしている人たちが紹介される。取次に頼ってはあるべき配本ができないという考えから、書店への直販を始めた出版社。既存の取次とは違った本の取り扱いをしたいという思いで、たった一人で取次を始めた人。そして本が売れない中でも、なんとか書店をやっていきたいと様々な取り組みをしている書店員。

そうした様々な事例における問題意識や解決策は、大まかには次の2つにまとめることができる。
(1)委託配本システムのような書店不在の流通システムはもはや崩壊しているから、取次はインフラとしてのあるべき姿に帰るべきで、流通を合理化させ、必要なところに必要な本を必要なだけ配本できる存在(問屋として当たり前の存在)にならなければならない。
(2)本を売ることで儲けを出すことは、現状の定価で行く限り不可能なので、書店は本以外の取り扱いを増やす必要がある。例えば、カフェ、雑貨、文具、実用書に基づいたサービス(例えば楽譜を扱う店なら音楽のレッスンをする、レシピを扱う店なら料理教室をするといったような)などが考えられる。

ところで、本書は様々な立場の人からの発言があるので、出版・流通・書店のそれぞれの考え方を多面的に見ることができるのであるが、そこに一つ顕著な特徴がある。それは、「我々は求められているんだ」という需要側の論理で話す人がほとんどいない、ということだ。例えば書店で言えば、ほとんど全員が「Amazonがあれば消費者には十分だ。むしろAmazonの方がずっと便利だ」という考えで話しているように見える。その上で、「だけど我々はこの街で本屋をやっていきたい」といっているのだ。書店が求められているからやっていきたいというのではなくて、「書店はいらないかもしれないが、私はやっていきたい」という、ある意味では手前勝手な理屈で押し切っている。

出版においても同じである。もちろん弱小出版社がキラリと光る本を出すこともあるので、そういう出版社も求められていないわけではない。しかしそれ以上に、「自分たちは出版以外で働くことはできないんだ」というような、やむにやまれず出版社をやっているようなところがある。

つまり、本の業界には「本に魅入られた人たち」がわんさか働いていて、そういう人たちは社会から求められていようが、求められていまいが、「本の世界」で生きていきたいのである。これは「もう勝手にしろ」というような部分もあるが、でもそういう「本に魅入られた人たち」が文化の根底を支えてきたという面もあると思う。こういう人たちが蠢いている世界だから、私などはこんなに面白い業界もないと思ってしまうのである。

なお、本書全体を通してみて思ったのは、やはり本の価格が低すぎては他の取り組みもできないので、まず本の価格を上げるということが必要だということだ。例えば、600円の文庫本を900円にする、1500円の単行本を2300円にする、というようなことを。現在の出版流通では、すぐにゴミクズになってしまうようなチープな本を自転車操業的に回していかないと資金繰りができない形になっているのが大問題である。もっと息の長い出版活動ができるようにならない限り、改革しようにもその余力もないと思う。

また、本書では図書館と古書店についてはほとんど扱われておらず、話が新刊のことに終始しているのでその点は少し不満だった。それから本書のテーマとはちょっと違うが、雑誌の編集プロダクションの人の話もあればまた違った視点から書籍流通のことが見えたかもしれないとも思ったところである。

しかし福岡という辺境の地で(といっても鹿児島から見たら十分すぎるほど都会)、このような業界を根底から見直す座談会が行われ、その議事録が立派な本になって出版されるというのは心強い。

変化は辺境から始まる、という。今はまだ小さいながら、本の未来を見据えた取り組みを垣間見ることのできる力強い本。


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