2018年4月24日火曜日

『江戸の思想史—人物・方法・連環』田尻 祐一郎 著

江戸時代のさまざまな思想を紹介する本。

本書は大学の講義に基づいて書かれており、「宗教と国家」「太平の世と武士」「禅と儒教」といったテーマにそって江戸時代の思想・思想家を紹介していくというものである。

それぞれの思想の紹介はかなり簡潔で物足りなく感じる部分もある。例えば熊沢蕃山についてはたった2ページしか述べられていない。他も、伊藤仁斎と荻生徂徠がやや詳しく説かれる程度で、思想史とはいえほんのサワリだけを見ていく感じである。とは言っても、記載の密度は高く、原典からの引用も豊富であり、決して辞典風の要約ではなく、著者の思い入れが感じられる文章である。

全体として見ると、これだけ手軽に江戸時代の思想の流れを概観できる本は少ないので、初学者向け案内書として読むのに好適と思う。ただし、さらに深く知ろうと思った時のためのブックガイドや参考資料が掲げられていないのが残念である。

本書の「思想史」として不十分な点は、基本的に「思想家」の歴史が描かれていて、思想家以外の部分についてあまり述べられていないことである。例えば、本書では「寛政異学の禁」については全く述べられていないが、これは思想史上でも重要な事件であるので取り上げた方がよいと思ったし、主流派の朱子学者がどういった思想を持っていたのかということももう少し解きほぐして欲しかった。

また、町人の思想の伝達や彫琢に一役買った連歌・俳諧といったものも取り上げてもよかったかもしれない。それに近松門左衛門、井原西鶴といった文芸分野で活躍した人の思想が全く閑却されているのも少し一面的だと思った。要するに本書は江戸の思想史全体を射程に収めるものではなくて、政治思想史として見た方がいいと思う。

そういう視野の狭さも感じるものの、「政治思想史」としては非常に手際よくまとまっており、取っつきにくい江戸の思想家に親しむのにはちょうどよい本。

2018年4月23日月曜日

『西南戦争―西郷隆盛と日本最後の内戦』小川原 正道 著

西南戦争のコンパクトな伝記。

西南戦争について書かれた本は厖大にあるが、新書という形でコンパクトにまとめられることは少なく、本書は西南戦争の入門編として珍しい。

入門編であるだけに記載はわかりやすく、特に戦争に突入してからの説明は簡潔で要を得ている。

一方、類書に比べて記載が充実しているところは西南戦争と民権派の関係についてである。西南戦争は、全体として見れば不平士族の封建揺り戻し闘争であった。彼らは明治政府の急進的な改革を不満とし、その不満のはけ口として戦争が起こったのであるが、一方で明治政府の改革が民主的でないとして不満を抱くグループも政府に対峙していく機会を窺っており、西南戦争の蜂起は民権拡充の好機と捉えられた。

例えば中江兆民は、自身が西郷隆盛を擁したクーデターを構想したし、政府と鹿児島の対立を煽った『評論新聞』は、士族反乱を支持し政府の開化政策を批判する一方、言論の自由や地方民会・民撰議院の設立、立憲政体の樹立なども要求している。さらに熊本では民権党も薩軍に加わったが、その中に宮崎滔天の兄で「九州のルソー」と呼ばれた宮崎八郎もいた(彼は『評論新聞』の記者もしていた)。

薩軍は、全体として士族意識によった反革命的性格を持ちながら、そこに民権拡大、言論の自由など民主的な主張が奇妙に同居していた。西郷隆盛と共に政府の改革を目指した人々は、そのさまざまな主義主張を西南戦争に託したのである。

ところが肝心の西郷隆盛は、この戦争では黙して語らなかった。というよりも、語らせてもらえなかったというのが正しい。彼はまさに「玉」として扱われたように見える。蹶起の正統性は、実際には何もなかった。ただ、「西郷を擁している」ことそのものが正統性と考えられたため、戦争の現場へ関与すらさせられず、恰も人質のように扱われたのが西郷その人であった。そして西郷は、その役割を甘んじて受け入れたかのようだ。

本書の記載がさほど充実していない点は、私学校党の動向である。「私学校とは何か」ということは、戦争の主体であるのだからもう少し丁寧に書いてもよいと思う。特に、実質的な戦犯である篠原国幹、桐野利秋などについては戦争前の動向を丁寧に追うべきだ。別府晋介、淵辺群平、辺見十郎太については「反乱の本当の首謀者」(西郷従道)とまで言われるので、人物像まで知りたいところである。また、私学校が成立するにあたって大きな役割を果たした大山綱良(県令)についてはその動きが本書にはほとんど書いていないが、これはちょっと残念だった。

本書では、最後に「西郷星」など西郷伝説についても触れ、そうした伝説が生まれた背景を簡単に考察している。曰く「西郷は、明治国家が成長過程を歩むなかで切り捨て、廃除してきたさまざまな可能性と、まだ見ぬ未来の可能性とを象徴していた」(p235)とのことである。

西南戦争が持つ多様な側面を切り出しつつ、経過をわかりやすくまとめた好著。


2018年4月7日土曜日

『西郷隆盛紀行』橋川 文三 著

西郷隆盛を巡る思索と対話の記録。

橋川文三は西郷隆盛の評伝を書くように依頼された。しかし西郷をどう評価していいのか、そして既に汗牛充棟する西郷本がある中でどういう視角から描けばこれまで見過ごされてきた一面が表現出来るのか思案する。そしてそのヒントを見つけるため、様々な人と対話し、小文をまとめた。本書はそうして出来上がったものである。

本書で最も面白かったのは島尾敏雄氏との対談である。周知の通り西郷は二度遠島に処されている。一度目は大島に、二度目は(徳之島を経て)沖永良部島に。この島暮らしの中で西郷はどう変わったのか。

島尾によれば、一度目の島暮らしは西郷をさほど変えなかった。失意の中で荒れた生活をしていたし、大島での生活は、実際には服役ではなかったものの幽閉に等しい感覚だったという。だから島から呼び戻された時は当然喜んだ。

しかし沖永良部島での暮らしは違った。土持政照という地元の利発な青年と出会って慕われ、幽閉の形はとっていたが悠々と過ごすことが出来た。また絶海の孤島は、逆に恰も世界の中心にいるかのような感覚を催したのではないかという。そうして著者は、西郷は本土へ帰る気が失せたのではないか、と推測する。少なくとも、本土の方で繰り広げられている幕府と勤皇派の争い、そういうものが何か違うんじゃないか、そう思うようになったのではないか。ここで西郷の思想は他の志士たちとは違うものへと転化したのかもしれない。

本書の半分は、征韓論をどう考えるかということと、それに付随して西南戦争をどう評価するかという議論に当てられている。征韓論については、基本的に毛利敏彦『明治六年政変』(中公新書) の立場に賛成している。一方、西南戦争についてはこれといった見方は提出していない。封建主義の揺り戻しであり反革命と見るか、それとも明治維新の理想が現実には骨抜きになっていく中であくまで明治維新の革命を貫徹するための戦いと見るか、それすらも決められないという。

結局、西郷を評価することは、近代日本の歩みを評価することと等しい作業となる。あまりにも対象が大きく、つかみどころがない。著者は結局、病気(パーキンソン病)のためもあって、遂に西郷隆盛の評伝を書き上げることはなかった。本書は、この書かれなかった評伝のために準備した7、8年間の思索の記録である。

西郷の評価を考える上でヒントに溢れた小著。

【関連書籍】
『明治六年政変』毛利 敏彦 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2019/03/blog-post_21.html
いわゆる「征韓論」の虚構を暴き、その真相を究明する本。
明治六年の政界を実証的に解明した名著。


2018年4月6日金曜日

『本居宣長(上・下)』小林 秀雄 著

小林秀雄の語る本居宣長。

本書は、本居宣長の評伝ではない。宣長の仕事が時系列的・体系的に語られるわけでもないから、宣長を知らない人には読みにくい。本書は11年半にも及ぶ連載によるもので、著者自身がどこに着地すればよいやもわからないままに書き綴ったもののように思える。いうなれば、本書は「本居宣長研究ノート」とでもいうべきものだ。

この長大な作品において、著者が執拗に主張したこと、それを一言で言うなら、「宣長の研究は、古事記に書かれた荒唐無稽な神話をそのまま首肯するところが弱点だったと思われているが、これはむしろ宣長学の核心であり、弱点どころかこの態度こそが古典文学の読解に必要なものだったのである」とでもなるだろうか。

このような例が本書中に出されているわけではないが、話を簡単にするためにフランス文学に譬えて、この主張を少し解説してみよう。

フランス文学を真面目に研究しようとすれば、誰しもフランス語を習得する必要があると思うだろう。日本語への翻訳作品によっても、フランス文学の一端を捉えることはできるし、普通の人が楽しむ分には十分だ。しかしその機微、空気感といった微妙な芸術の襞を理解しようと思ったら、やはりフランス語を習得する意外にはなさそうだ。

その上、例えば18世紀のフランス文学を研究しようとすれば、18世紀の風俗や社会情勢、その当時の人々の心のありようがどんなだったか理解しなければ、本当に文学作品を理解したことにはならないだろう。当時の人が、どんな気持ちでその文学を読んだかということが自らの中に再現できて初めて、作者の意図や表現の価値が分かってくる。

こういったことが、『源氏物語』や『古事記』を読解する上でもいえるのである。『古事記』を本当の意味で読もうと思えば、『古事記』が生まれた社会のことを理解し、その言語を習得して読まなければならない。象徴的ないい方をすれば、『古事記』を「翻訳」せずに、『古事記』当時の人のこころになりきって読む必要がある。

ところがこの『古事記』当時の人のこころ、というのがくせ者である。この頃の言葉は、どこにも残っていないからだ。 『古事記』そのものは、当時の人の言葉ではない。これは変則的な漢文で書かれているが、当時の人が漢文でしゃべっていたわけはないからだ。よって、『古事記』として残された変則的な漢文から、まず『古事記』当時の肉声を再現するという作業をしなくては、そもそも『古事記』を「読む」ということすらできないのである。これが、宣長の『古事記伝』という決定的な『古事記』研究であった。

宣長は、言語というものは翻訳が不可能なものだ、と考えていたのではなかろうか。凡百の古典文学研究家が、古典に「何が」書かれているか理解しただけでそれを読解したと思ったのとは対蹠的に、宣長は「どう」書かれているかまで理解しない限り古典を読めたとは考えなかった。意味を摑むだけならば「何が」書かれているかだけで十分だ。だが言語の本質は意味のみにないと宣長は考えていたようだ。むしろ「書きざま」の方が重要であると彼は考えていた。そして「書きざま」を味わうには、当時の人のこころになりきるしかないというのだ。

しかし、もはや後代の人間には「当時の人のこころ」がどんなだったか分からない。なぜなら、日本語は「漢字」を受容したからだ。漢字のない日本語など、今になっては考えられない。そして受容したのは「漢字」だけではない。「漢字」を受容したことで、必然的に日本語には中国風の観念が導入されたはずだ。それを宣長は「漢(から)ごころ」と呼び、『古事記』を理解するためにはそれをどうしても排除しなければならないと考えた。

というのは、神話は漢字がないころから口伝えで生き残ってきたはずである。漢字を知らない人々によって語られてきたはずである。だから宣長は「漢ごころ」を棄て、古代人になりきって古典を読むという、知的な荒行ともいうべき読解を試みた。彼は実際に、古代人になりきったと信じた。

しかしこの読解方法には、決定的な弱点が内在していた。それは、「古代人になりきる」以上、古典に対する批判精神を失うことを意味していたのだ。現代の科学では、古典の文献を研究する場合には必ずテキスト・クリティークすなわち「史料批判」をする。史料自体の正当性や妥当性を批判検証することだ。文書というものは、現代においてすら現実の社会を丸のまま写したものではない以上、こうした作業を経なくては、古代の本当の姿は見えてこないのである。史料をそのまま事実だと信じれば、文辞によって飾った歴史しか理解し得ないだろう。

一方で、史料批判を行うことと、文学を理解することは別の次元の話である。例えば、「吾輩は猫である」という文章を味わうことは、その猫が実在したかどうかというようなこととは全く関係がない。「私は猫です」でも「拙者は猫でござります」でもなく、「吾輩は猫である」という表現をとっていることを味わうのが文学を理解するということの一端であって、これを"I am a cat."とだけ理解して、その猫の実在性について議論しているようでは、いつまでも文学を理解することはできまい。

そういうすれ違いが、上田秋成と本居宣長との間に、後に「日の神論争」と呼ばれる論争を引き起こした。秋成は神話がそのまま事実とは考えられないという常識的なことを述べ、宣長は神話は全てありのままの事実だと反駁にならない反駁をした。今日から見ると、筋の通った主張をする秋成に対して、滑稽なまでに狂信的な宣長と思われるのであるが、小林秀雄は、あくまで宣長を擁護するのである。

私が本書で理解できなかったところはそこである。著者も、この論争は議論の土台からすれ違っていて、いわば議論の体を成していないということは認めている。しかしそれでもあくまで宣長を擁護していて、秋成については文学に対する理解が浅いとでもいわんばかりの態度である。だが議論がすれ違っている以上、宣長を擁護するにしても秋成の「史料批判」も首肯することはできたはずである。いやむしろ、宣長の研究態度は言語の本質にまで通暁した徹底的なものであると称揚するにしても、やはり神話をそのまま事実と認めることは科学的ではなかった、と批判すべきだったように思う。

宣長の態度は科学的なものではなかったが、彼の文学上・言語学上の業績は失われるものではないし、実際に宣長の古事記訓は、記紀神話が事実として認められなくなった今でも通用している。であるから、著者が執拗といえるほどに宣長を擁護する、その気持ちが私にはよく分からなかった。ただ、作品と同一化してしまうほどに言葉の世界に没入した宣長を見習って、小林秀雄も、『古事記伝』と同一化しようのであろう。一切の批判を棄てて、その作品を味読することによって作品の真価を体得しようとしたのだ。

本書は、長大で引用も多く、論旨は不明確であって、表現が文飾に流れがちであり、決して端正な評論とは言い難い。重複や繰り返しも多く、著者自身が何をいおうとしているのかよく分かっていないような箇所もある。一方で、言語や文学作品といったものに対して真摯な思索が繰り広げられており、その重複や論旨の不明確といったことは、言語という捉えがたいものをどうにか捉えようとしている苦闘の跡のように見える。

かなり難解であるが、宣長の言語に向かう研究態度について徹底的に思索し尽くした労作。